惑星チョップ




どこかのグループの誰かと誰かの考えが違った。





やがて、


どこかのグループはバラバラになる。





こんな状況をみると、いつも惑星チョップを思い出します。


村男HPの『99』というページにある「心配なら検査にいきましょう。実際、心配してなかった僕らが感染している病だ。」というコンドーム入りのCDを村男ではなくバンドとして配っていたあの頃、何ヵ月にも渡り沢山の方々にソレを配っている状況で「まぁ、僕は大丈夫だと思うから検査は行かなくてもいいかな。」というリーダーの一言により解散したバンド、村男がひとりで惑星チョップを引き継ぐ事になった現状が頭に浮かぶのです。


信用と信頼と愛する気持ちの分だけ、あの時の自分はそれをどうしても許せなかった。


どうでもよいならどうにでもなったのでしょうが、大好きな分どうしてもどうしてもどうしても許せなかったんです。





でも、


そもそも『数ある問題に対する答えが全て一致する、全く同じ考えの人間』なんてきっといないんですよね。


それに、そもそも責めるなら「自分を知らずに誰かを大事にするだなんて簡単に言ってはいけない。そうだ、検査しに行かなきゃ!」って思わせる事が出来きなかった自分を責めるべき話だったと今は思うております。







何かのグループに属する時、


皆が皆を一緒だと勘違いするのは危険だ。


皆が皆違う。


僕らは『皆が皆違うけれども、何かが一致して一緒にいるんだ』ということをきちんと認識すべきなのですよ。




それは、中にいる人間も外にいる人間もね。


そして、『譲れない何か』に歪みが生じた時は、とことん話し合いをするべきなのです。





惑星チョップの場合、僕が言い訳を許さない程になってしまったので、リーダーの言い分を聞こうって姿勢が全くなかった。


話し合いは大切です。


『なぜそうなったのか?』


とことん話し合いをし、相手の気持ちを理解しようとしてみて、それでもそれでもやっぱり理解出来ない、譲れない事ならば、皆納得した上でそれぞれの道を歩めばいいだけなんだと思います。


だって、意外と『先の先は繋がってた』なんて事もあったりするのですよね。





自分の場合、


『人は人を殺してはいけません』


と思いますが、


愛する人がもしも苦しめられてどうにかなるとしたなら、僕はきっとそいつを、痛みが少しでも長く強く感じれる様にしながらズタズタに切り刻んで殺してやろうと考えるでしょう。


『人は人を殺してはいけません』


ただ、人が人をやめる事は有り得る。


そう、考えます。


この一連の流れの内で、



『村男は誰かを、痛みが少しでも長く強く感じれる様にしながらズタズタに切り刻んで殺してやろうという考えを持っている。』


と、ここだけを聞いた人、聞かされた人のイメージというのは、きっとその印象が強くなる、又は誤解するのでしょう。


だから、きちんと話をきかなきゃいけない。


きちんと話をしなきゃ駄目なんですよ僕ら。


僕らはみんな一緒です。


僕らはみんな違います。


あっという間に変幻自在にくっついたり、呆気なく離れたり、複雑に捻れたり、上手に丸まったりして『◯』になる生き物です。





そんな元々バラバラな僕らが、折角欠かせない何かの元にひとつになれたのなら、その奇跡を大切にしなきゃいけません。


それと、話は変わりますが、誰かの何かを責める時、きちんと自分の足元を確認する必要があります。


「500人の人殺しや無責任は駄目だ!」と言ってるあなたが5人の人殺しや他人の安全を軽視して無責任な行動を取り、自分の事を棚に上げて誰かを攻撃しているようじゃお話になりませんよ。


あくまでも思うのは自由です。


ただ、批判するのは違う。





だってほら、


足元をよく御覧になってみて下さいよ。