2011年8月15日

晴れのち一時大雨のち晴れ



「がんばろう福島、福島は安全、福島は大丈夫!」


というテーマの中で、『駄目かもしれない』もきちんとソコにいなくてはいけないと思って参加させて頂いた『8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!』。その時の代表のひとりでいらっしゃる遠藤ミチロウさんを、その時僕は未だ知りませんでした。




四季の里の福島音楽解放区というステージで、自分は東海村の被爆事故で使われた物と同じステンレス製のバケツを被って『見えない炎』といううたを3時間壊れたラジオの如く繰り返し歌い続けたのですが、その時本当はメインの高いステージでのみ歌う筈の遠藤ミチロウさんが、なんとチバ大三さん率いる独唱パンクの枠で自分達と一緒になって発信されていらっしゃったという話を後日聴きました。


その頃からです、遠藤ミチロウさんのお名前を物凄く良く耳にする(意識する)様になったのは。


共演者の方々や音楽好きな方々からは勿論の事、ツアーなど、行く先々で必ずと言っていい程遠藤ミチロウさんのお名前は出て来ました。


いつか共演させて頂ける日が来た暁には、あの時の話をさせて頂こうとずっとずっとずっとその日を楽しみにしておりました。



でも、、、


共演させて頂く機会にはなかなか恵まれず、一度某ライブハウスでお見かけした際にお話が出来るチャンスはあったのですが、結局その時もお話する事は出来ませんでした。




そして、昨日最近始めたばかりのフェイスブックで遠藤ミチロウさんの訃報を目にしたのです。





あぁ、


やっぱりあの時、無理矢理にでも声を掛けさせて頂けば良かった。


本当にお話出来ずにいた事を悔やみました。


今思えば、意識はしておりませんでしたが、メディアに進出されている様な同業者の有名な方には、なんとなく『共演してからでないとお話してはいけない』とか、『気安く声を掛けてはいけない』みたいな、なんだかよくわからない独自のルールみたいなものがどこかにあって、それに加え、口下手だとか、人見知りだとか、恥ずかしがり屋だとか、変な奴だとか思われたらどうしようとか、そもそも突然話かけたら失礼になるかなとか、なんだかんだと理由をつけて、きっとを話かける事が出来ないでいたんだと思うんですよね。



でもね、今夜思いました。


そんなんじゃ駄目なんですよね。




知らない事、知る事知られる事、知ろうとする事を恐れてちゃ駄目なんだ。


それはそれは勿体ない事。





きっと、


話したい事は話たい時に話をした方がいいし、会いたい人には会い時に会いに行くべきなんです。




じゃないと、


きっとこうして後悔する事になる。